選び・選ばれることに疲れた時

本当は行政機関を目指していたけれど、仕事で受益者の線引きをしなければならないことを辛いと感じたAさん。ここからどのように人と関わり仕事をすればよいのか戸惑うようになったといいます。

今回は、誰かをいつも線引きしている自分と、社会からいつも線引きされている自分について考えてみたいと思います(質問ありがとうございます)。

思えば、受験や就職から伴侶の選択においてまで、私たちはいつも誰かに選ばれて生きてきました。しかし裏を返して見てみれば、自分達もいつも誰かを選んでいることに気付きます。選ばれる立場に立つのは、あまり愉快なものではありませんが、やはり誰もが避けては通れないものです。

私がこれまで仕事をしていて、最も厳しいなと思った線引きは、当時運営していた途上国のプロジェクトで、支援する対象と支援しない対象を分ける作業でした。逆に選ばれる立場で、厳しいなと思うものは、希望の仕事場に採用されるか、されないかの線引きです(私たちは数年毎に仕事場を変わりますから、その都度、選ばれな いといけません)。
 
こうしたサイクルを何度も繰り返しているうちに、ある事に気づきました。それは、選んで・選ばれるという巡り合わせからは、逃れることはできない。だったら、抵抗せずにその事実を静かに受け入れろということです。
 
選ばれる側の立場も経験していれば、選ばれなかった時の痛みは良くわかるはずです。そしてそんな痛みは、「人の線引きなんて嫌だ」という抵抗ではなくて、選ばれなかった時の痛みがわかるからこそ最善の基準で線引きをしてみせよう、というエネルギーに転換させるべきなのです。

誰かを線引きすることに疲れてしまうのは、そこに心のどこかが抵抗しているからではありませんか?

質問者様のように、選ばれる立場の人の気持ちが分かる人こそ、線引きを上手にできる素質がある、と私は思います。大丈夫、自信をもってお仕事に打ち込んで下さい。きっと、できるはずです。