海外の教養人に学ぶ教養と教育のちがい

http://hanacell.hatenablog.com/entry/20130228/1362031910

昨日は、某国大使の誕生日パーティーがありました。親しい友人を公邸に招いての会には、想像通り多国籍のゲストが参加していました。事前に予告されていたパーティーのテーマは、「オスカー」です。ドレスコードはカジュアルにとの指定も付け加えられており、なにやら楽しそうな前ぶり感が一杯でした。

 

公邸に着いて最初に渡されたのは、2016年にノミネートされたアカデミー賞の作品群と監督、男優、女優のリストです。そこでゲストは、それぞれの独断と偏見で、これはと思う該当者に投票することになりました。誕生日ケーキをほお張りつつしばらく歓談の後は、授賞式とオスカーのトリビア大会の始まりです。

 

誕生日の主役である大使自らが司会を買ってでて、トリビアを盛り上げます。

「アカデミー賞史上で、主演男優賞を辞退した俳優は何人か。さて、その理由は。」

「外国フィルム賞を受賞した国で3番目に賞が多いのは、どこの国か。」

「(音楽が突然流れ)このテーマ音楽を主題にした作品は何か。」

 

ゲストが正解を当てる度に、周りから歓声が上がります。前ぶりからユニークなこのパーティーで私が心底驚いたのは、主役である大使のとんでもない博識ぶりでした。公開された年と作品名とキャストをよどみなく答え、ゲストからの質問にもすらすら答える彼の姿は、普段外交を語るその人からは全く想像もできないものでした。

 

そこで一つ言葉を思いだしました。「より良い生活を送るために、思考の材料となる情報を身につけることが教養である」というそれを。『ビジネスに効く最強の「読書」』の中で著者の出口治明さんは、こう教養を表現しています。対する教育は、「人間が最低限生きて行くために必要な武器を得ること」だそうです。

 

医者で言う医学、ビジネスパーソンでいう経営の知識が生きために必要な「教育」ならば、人の生き様やアイディアを形として表現する媒体に深く触れることは、より良き人生を歩む思考の糧としての「教養」に当たるに違いありません。

 

そして私が何よりも驚いたのは、単に「この人は教養があるなあ」という事ではなく、その他者の追随を許さない突抜けぶりでした。

 

そしてこのような「教養人」に万国共通するのは、その人となりがとても謙虚な事です。お別れの際に「すごい博識ぶりですね。大学でのご専門は映画学ですか?!(そんなはずはない)」とおどけた私に「いや、ちょっと僕はオタクすぎてね。」とはにかんだ彼の笑顔は、とてもチャーミングでした。