どこを間違えると「おもてなし」はアメリカ風のサービスになってしまうのか?

アメリカのデパートや携帯会社などで接客を受けると、諦めの境地に近い自分に気づきます。目の前の笑顔は、人間離れした白さを誇る、歯のホワイトニングの広告のよう。そしてそこから繰り出されるのは、やはり強気なマシンガンのようなセールストーク。アメリカで良しとされるのは、外交的で話題に豊富で、人懐っこい人格ですから、この人格を全員が一生懸命に身にまとっているかに思えます。最近の韓国のミスコン優勝者が、全て同じ顔に見えるというのと、どこか似ているかもしれません。間違いのないオプションを、全員が画一的に求めるという点において。

日本の「おもてなし」が世界の人々を惹きつけて止まない理由は、これが画一性を超えた相手の繊細な気持ちを大切にしているからだと思います。マニュアル化されたサービスではなく、相手の欲しいものや気持ちを先読みして先手を打つ。痒いところに手が届く、まさにその感覚かもしれません。その分神経も使いエネルギーも入りますが、人の心を扱う以上、本当の意味での「おもてなし」は、どの時代どの場所でも色を失うことはないはずです。

だから、画一的な日本旅館のおもてなしは、アメリカ風のサービスになり得る。また何の変哲もない一台のタクシーの対応も、本当の日本のおもてなしになりうる。それとそれ以外を分ける分水嶺は、この辺りにあるような気がします。