自分を犠牲にすることと、自分が楽しむこと

誰かのために、何かのために、私は今の自分を犠牲にしている。


心のどこかでそう思う瞬間はありませんか?家族を養うために、自分は好きでもない仕事をしている。会社のために、今の自分という存在を押し殺している。自己犠牲の気持ちが自分の大半を占める生き方は、きっとどこか辛いはずです。


途上国で4年を過ごした時、私もこの壁にぶつかることになりました。自分で強く希望して行った場所ですが、やはりやりたいことを実現するための対価は払わなければなりませんでした。その最たるものは、人生の伴侶です。週末など、ポツリと広い空間に存在するたった一人の自分は、空虚で孤独そのもの。自分が払っている犠牲は、一体何の為なのか。何度も考えるようになりました。


ナポレオン・ヒルは著書『思考は現実化する』の中で、自分が達成したい夢と、その実現のために自分が犠牲にするものを書き出せ、と述べています。どうやら夢の実現と犠牲は、二つで一つのセットのようです。だからこそ、自己犠牲感がどうしても拭えない場合は、この夢と犠牲のバランスが崩れているサインかもしれません。本当は犠牲にしてはいけないものを、無意識に犠牲にしてしまっていることはありませんか?正しい夢と理にかなった犠牲を選択している場合は、こういう苦しさはないはずです。


本当に私達が力を発揮する場面は、自分を犠牲にしている時ではなくて、自分を心から楽しんでいる時のはず。自己犠牲感が消せない場合は、自分が本当に大切にしたいものは何なのか、を考える良いサインなのかもしれません。