東京都議マタハラ・ヤジは海外からどう見られているだろう

(c) Asahi Shinbun, Fukutome
(c) Asahi Shinbun, Fukutome

「自分で産んでから」女性都議に対して四方八方から飛んだヤジ。飛ばした方は、ここまで問題が大事になるとは思っていなかっただろう。コトは、少数子化問題は勿論のこと、議会におけるヤジのあり方にまで及び、全く沈静化する気配はない。さてこの問題は、海外からどう見られているのだろう。

マタハラ、いわゆるマタニティー・ハラスメントはOLやサラリーマン同様、和製英語だ。英語では、似たような概念をpregnancy discrimination(妊娠による差別)と呼ぶ。存在はするが、あまり日常で耳にする言葉ではない。これを英語でネット検索にかけてみると上位に上がる記事は、全て日本のことを述べたものだ。私の周りにも沢山の幼い子供を持つ友人(フランス人、オランダ人等)がいるが、彼ら/彼女らが、子供を持つことによって国連という仕事場から差別を受けたと憤慨する姿など、見たこともない。彼らの不満はもっぱら、子供の夜泣きやベビーシッターのことで、マタハラとは無縁の問題ばかりだ。

 

英語圏の職場では、パワーハラスメントであろうとセクシャルハラスメントであろうと、ハラスメントと名のつく行為が認定されると、行為を行った者は職を失う可能性が高い。だから糾弾する側もされる側も、決して軽々しく口に出したりはしない。居酒屋でビールを囲みつつ「今日あの子にセクハラって言われちゃったよ、あはは」などと笑う場面は存在しない。「えー、それってセクハラですー、ふふ」という場面にもまず遭遇しない。ハラスメントという概念を輸入した日本と、そのコンセプトを生み出した本場では、まず温度が異なるのだ。多分ヤジを飛ばした都議の方は、上の例の様にほんの冗談を言うような気持ちでヤジを飛ばしたに違いない。そして議会は笑いに包まれた。しかしその感覚は、海外ではほぼ理解される類いのものではないだろう。ブルームバーグ誌は、問題は政策ではなくて人々の「態度」だと言ったが、彼らの目を通せば、全くその通りに見えるに違いない。

 

海外の論調の殆どは、国の将来を本当に考えるならば、日本はこの問題に真剣に取り組まなければならないというものだ。確かにその通りなのだが、人々の間に深く浸透した態度を変えるのは、政策を立てるよりもよっぽど難しいはずだ、と思う。