2015ワールドカップにおける日本人観客の「ゴミ拾い」について

(c) Asahi Shinbun, photo by Sugimoto
(c) Asahi Shinbun, photo by Sugimoto

ワールドカップで日本チームが負けたにも関らず、日本人の観客がゴミを拾う行為が話題になった。この話題を私が知ったのは、日本のメディアからではない。イギリスのメディアを見たアメリカ人からの電話で知ったのだ。世界がその礼儀正しさに驚いた、というのは本当のこと。

 

現地の清掃に関る人々の仕事を奪う行為であるとか、人として勝っていることを示したいゆえの行為であるとか、賛否両論の議論が巻き起こっているが、私はこのニュースを聞いた時、「真に日本人のやりそうなことだ!」と思った。良い悪いよりも先に、日本人らしさが際立つ行為だと思った。一体何をもってそう思ったのだろう。

 

当たり前のことであるが、どの国の人々も、周りから良い人に思われたいと考えている。時々「私はBitch(悪女)で生きるの。」と人生を悟ったような人にも出くわすが、このような例外を除けば、男性も女性も皆が他人から良い人と思われたい、と心のどこかで考えている。日本とそれ以外の国の人々の差が出るのは、「良い人」の定義が個人のレベルで完了するか、無意識に周りの人々の良い状態も含むかによると思う。日本の人々の感覚では、周りの人々に迷惑をかけないことが「良い人」の定義にしっかり含まれているはずなのだ。誰でも幼いころ親に、口うるさく言われただろう。「周りの人に迷惑をかけちゃダメよ。」と。

 

ひるがえって海外でこのような思考回路をたどる人々は少ない。彼らの言う「良い人」定義は、個人のレベルで機能している。例えば、日本にはない習慣の一つに、レディーファーストが挙げられるが、これは男性という「個人」のレベルで、良い人を演じたい気持ちの表れだ。先ほどまで笑顔でエレベーターのドアを抑えていた人も、個人名と性別が特定できなくなる車の操縦に至れば、派手にクラクションを鳴らして周りを蹴散らしたりするから、この気持ちが個人レベルで機能していることは明らかなのだ。周りの為ではなくて、自分のレベルで「良い人」でありたい。このような彼らに、周りの為にゴミを拾おうという発想が生まれない。

 

日本の新幹線では乗客が皆お弁当箱のゴミなどを持ち帰るが、ヨーロッパを走るユーロスターでは誰も持ち帰らない。だからあらかじめゴミ箱が席に付いている。また皆がゴミを持ち帰る新幹線であるが、この行為ゆえに日本の新幹線から清掃係の人々が消えることはない。だからゴミ拾いをしたところで、誰かの仕事を奪うことはない。

 

日本人の礼儀ただしさは公の意識に結びつくのに対して、他の人々は個人レベルで機能する。ワールドカップの一件はこのことを思い出させてくれる良い機会であったと思う。