自分に本当に「意味」のある努力

(c) Brancusi
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努力をすることは素晴らしい。皆、そう教えられてきました。しかし、本当にそうなのだろうか。誰もが一度はそんな疑問を感じた事があるのではないでしょうか。

 

私自身は学生時代、英語が特に出来る人間ではありませんでした。だから国境を超えて働こうと決意した時には、とんでもない苦労を強いられることになりました。帰国子女でなければ英語を完全にマスターできる望みは薄いと周りも普通に思っていましたし、実際そうした例外も身近に存在しませんでした。

 

でも、とにかくあきらめずに毎日コツコツ練習に励むことにしたのです。途中、格好悪い場面にも随分遭遇しました。でも何故か必ず意味がある努力だと、どこかで確信している自分がいました。無駄な努力も随分繰り返してきましたがが、振り返ってやって良かったと思える事の一つです。

 

今、一生懸命頑張るということは、必ず後で自分を助けることになる。ただその頑張りは、自分にとって意味のあることではければなりません。そして意味があるかないかは、他の誰でもなく、何故か既に自分の心自身が知っているはずなのです。

 

二度と自分には戻ってこない時間をつかって努力するならば、自分の未来に意味のある努力でなければ損です。人の期待に答えるためや、他人を喜ばせるためではなく、自分のための努力。この自分のための努力が、いつか皆のための努力と同じ意味を持つようになった時、本当の人生の充実は訪れるのかもしれません。

 

そのためにも、人生のハンドルを握らせるのは誰かの期待や恐れではなくて、自分の素直な心でなくてはならない、そう改めて思う私です。