日本でシアワセに生きるコツ

(c)杉本博司
(c)杉本博司

日本の中に居るとなかなか分らないけれど、外に出るとはっきり分るものがあります。

 

その一つは、誰かに決められた価値感に従って、お互いを比較しあう「杓子定規の比べあい社会」です若さとは何か、良い学歴とは何か、良い人生とは何か。購入しなくても自然と目に入ってくる、電車のつり革広告。聞かなくても自然と耳に入ってくる、テレビの音声。生きることに大切な価値の多くが、名前も知らない他の誰かによって決められた尺度で計られているように思うのは、私だけでしょうか。

前回帰国した時に、日本人の多くが、今、怒っていることに気付きました。人の怒りの声というのは、乳幼児の泣き声と同じ様に、耳に良く入るものだと知ったのもこの時です。世界で最も恵まれた国の一つに生まれた私達であるのに、その国に住む人々は、あまり幸せそうに見えません。

 

海外に出てみると、皆、かなり自分勝手に生きていることがわかります。イタリア人女性など、幾つになっても皺も隠しませんが、でもとってもチャーミングです。どこの大学ですか、と初対面の人間に聞かれることも、また聞くこともありません。同じ髪型が画一的に流行ることもありません。

 

帰国した時にある知人から、「これがいい」のではなくて「これでいい」とパッケージすると売れる、と聞いたことがあります。あまりに豊かになり、選択肢が増えすぎてしまった日本人は、選択することに疲れてしまったようです。そんな状況をするどく捉える売り手は、私達の優しく背中を抱くように、出来合いの価値を人々の心に移してゆきます。

 

こんな社会だからこそ、選ぶこと生きることの主導権を、あえてブラウン管や雑誌記事の向こうの誰かではなく、自分自身に取り戻してみるのはどうでしょうか。誰かが決めた価値で、自分と誰かを比較し合うのではなく、自分の価値で生きてみる。自由に選びとり生きる権利は、どうしたって最終的には一人一人の個人にゆだねられている、そう考える私はそれを行使しなくては勿体ないと思う次第です。