断固としてNOと言わなければいけない時

多文化の中で仕事をすると、誰でも様々な違いにぶつかることにはなるのだが、自分自身で難しいと痛感したのがNOの言い方。出身文化によって、感度が異なる。私は、上司がフランス人からカナダ人に変わったことで、こんな失敗体験を持ちました。

過去の4年間をフランス人上司と共に働いたことがある。彼はかなり大らかな人で、年間の行動計画も「組織がやれ」というのでまあやりましょう、という感じであった。3月頃に作成したその年の行動計画はその後見直されることもなく、そのまま組織に提出された後は、引き出しの中にしまわれたままであった。

 

次の異動先では、カナダ人の上司と働いた。彼は、前者とは全く異なり、行動計画を綿密に作成し毎月の進行状況に合わせてアップデートし始めた。その中にかなり非現実的なプランがあった。それを彼に指摘したところ「でもあなたは最初のミーティングでこれにNOと言わなかったじゃないか。あなたは、その時にNOと言わなかったのだから、これをやる必要がある。」と返された。確かに、最初のミーティングで異議を唱えなかったのは、私。それはメンバー初顔合わせの合宿中に持たれ、お祭り騒ぎと新しいプロジェクトへの高揚感で、内容を本気にしている者はとても居そうになかった。また以前のフランス人の上司との経験の中で全く重要視されない行動計画の記憶も手伝い、そこでは異議を明確に伝えなかったのだ。やはりそしてその後、予期通り、プランは問題があることが明らかになった。問題が顕在化した時にそのカナダ人の上司であるイギリス人は、私にこう言った。「あなたは何故、非現実的なプランを提示された時に、NOと言わなかったのか。」「言いましたが、聞き入れられませんでした!」説明したものの、これはアングロサクソンの血が流れる彼の聞きたい返事ではなかったらしい。この時に、私は深く一つのことを学んだのだ。彼らと働く上では、言うべき時には断固としてNOと言って、相手を説得するまでその場を離れてはならない、と。

 

異文化間のコミュニケーションに、「ハイコンテクスト文化」と「ローコンテクスト文化」という考え方がある。
「コンテクスト」とは言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性などのこと。ハイコンテクスト文化では、これら共通の知識たるコンテクストの共有性が高いため、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことを通じてコミュニケーションをとることが出来るという。その場の空気を読んで行動したり、相手の気持ちを慮って発言する、というのはハイコンテクスト文化ならでは特徴だ。如何にも日本ではないか。相手の欲するものを先回りして提供する、いわゆるおもてなしも、価値観の共有基盤があるからこそ、実現可能なサービス。「はい」という返事は往々にして、そうですね、聞いていますよ、という相槌に似た意味を持つ。ここでは仲間の中で、ネガティブなことを表立って明確に言い切る姿勢は敬遠されるだろう。ハイコンテキスト文化の代表選手は、なんといっても日本。他に、韓国、タイ、中国などのアジア諸国が続き、ヨーロッパではロシア、フランス等の国が入る。

 

反対に、移民で構成される国のように構成員の間に明確な共通基盤がないローコンテクストの文化では、共通基盤がないがゆえに、言葉を使って一つ一つ明確に説明する必要がある。ここでは論理的思考力が重視され、合意は交渉を通じて行われ、合意は契約で確認される。何も言わないのは無と同じ。「はい」という返事は、相手の言うことに同意した、という明確な意思表示になる。そして相手の言うことに同意できない場合には「いいえ」と明確に主張することこそが、正直かつもっとも適切な対応とみなされる。ローコンテクスト文化の例は、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、イギリスなどだろう。

 

前述の例で言えば、日本人の私は、全く最初の合宿で周りの空気を壊したくないがために、それほど重要でないと考えた行動計画に明確にNOと言わなかった。カナダ人の上司は、同意できない場合にはNOというのが当然と思ったのだろうし、イギリス人上司もそう思ったのだろう。以前のフランス人上司は、一度作成した行動計画にその後触れることさえもなかったから、様々な文化出身者と個性が交わる職場環境は、思わぬ所でヒョンな驚きを有む可能性を秘めているだと思う。