直感で解りあえる地球上のエクスタシー

(c)http://ism.excite.co.jp/architecture/rid_Original_15231/
(c)http://ism.excite.co.jp/architecture/rid_Original_15231/

国や文化の違いを越えて、直感でわかり合えるエクスタシーは地球上に確かに存在すると思う。それが表現者の感覚を通し醸成される過程で、多様な解釈となりうることはあっても。

 

以前日本滞在中に、能「井筒」を見た。数時間にわたる幾つかの演目を経て、最後物語がクライマックスに達した時、現実か幻かの境目も曖昧になったその瞬間、演者の手の動きと共に、空間がグワリと歪んだかのような感覚に襲われたことがある。私は、と言えば単純にそこに飲み込まれ、無力に動けなくなった。

 

またベニス滞在中に、同じくベニス生まれのビバルディが作曲した「四季」を古い教会で聴いた。曲が始まる直前、期待と緊張で空間が極度に張りつめたかのように思えた瞬間、プリンシパルであるバイオリニストの弦が弧を描いて彼のバイオリンにおさまった。宙を描く弦の強く優雅にも見える動きに誘われて一瞬、その場の重力のバランスが歪んで見えたのは私の単なる錯覚だったか。遠いイタリアで、思わず能のクライマックスの瞬間が頭に浮かんだ。

 

目に見えやすい要素を取り除き、その価値が価値として成り立つエッセンスに純粋に目を向けた時、理由付けや知識など特に必要もなく、国境や文化の垣根を超え瞬時に感じ取ることのできるエクスタシーは地球上に確かに存在する。数々の違いを超えて尚、人々が共通の源を分かつ由縁かもしれない。

 

maiko-tajima.jimdo.com Blog Feed

新刊『価値観を超える仕事術』いよいよ発売です
>> 続きを読む

選び・選ばれることに疲れた時
>> 続きを読む