「日本らしさ」と普遍的な何か 地中海、京都、パリより

日本らしさというものが世界に存在するのではなく、世界の深くに滾々と流れる普遍的な価値が既に多様に存在していて、過去のある時点で日本人がそれを一片ずつ拾い上げ磨き上げ、今の「日本らしさ」を織り上げたと考えると、これからの世界はどう見えるだろう。

10年も昔、ロンドンの書店でブランクーシの代表作とも言える眠れるミューズを偶然目にした時に大きな衝撃を受けたことを、今も小さな興奮の気持ちと共に覚えている。無駄を完全に削ぎ落としたシンプルさ、時間を超越するような静けさ、わずかに微笑む口元、それぞれに広隆寺の弥勒菩薩半跏像を思い出してその場にしばらく止まった。対象を通して、背後の宙をほのかに感じさせるかのようなもの。似ていると思った。

 

先日エーゲ海を旅していて、期せずして今から5000年前も昔、地中海で栄えたキクラデス文明の出土品を目にする機会があった。その名も、「星を見る人」。ギリシャ文明も始まる遥か前、5000年という日本人からすれば途方もない昔に、この地の人々は毎晩美しいエーゲ海の星空を優雅に眺めていたのか、とため息が出た。そして、10年前に見たブランクーシの作品に、あまりに類似する、と思った。5000年前の作品に大きな影響を受けた彼。そして考えた。5000年前のエーゲ海と1300年前の京都、100年前のパリの共通点を、私はどう理解すればよいだろう。

 

数千年の時間を越えてなお残る作品を創る時の、人の心の状態というのは、どのようなものだろう。歴史上の接点もなく、完全に時間と空間に遮断されているのに、あまりにそのエッセンスが似ている作品群。世界の深くに滾々と流れる普遍的な価値は既に存在していて、他の異なる時間に生きた人にも起こったように、日本の歴史上創作に携わった人々が至純に無心な状態に到達した時、偶然その一つは自然に拾い上げられたと考えるのは、どうだろう。外側の装飾に注目すれば全く違ったものに見えるが、それを成り立たせるに至った精神的な側面に目を向ければ、何かどうしても似ていると思うものは、世界に少なくない。日本画家の千住博氏が、これからはいかに現代の文明をつくるかだと言われていて、妙に納得したことがある。日本のことを如何に普遍的な価値として捉えるか。その流れに貢献できる素地というのは、ここに十分にあると思う。

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