おもてなしについて

一年の99%を海外で過ごすようになって早10年。日本では当たり前に思われていても、海外ではまず目にしない価値がある。その一つが、おもてなし。今年新経済連盟が以前出した「イノベーションへの緊急提言」でも、おもてなしは、高度なデザイン力や細部へのこだわりに加えて、日本の潜在能力とされている。

 

先日日本に帰国した際に、奈良を旅行した。食事をするために入ったレストランで、まず店員さんの笑顔に驚いた。用事があればすぐに呼び出せるようにテーブルに置かれたベル。押せば一分ほどで、先ほどの店員さんが現れる。何を伝えても、嫌な顔一つせず、にこにこ笑顔で対応しようとする真摯な姿勢。頼む前に私のコップに注ぎ足される麦茶。あまりに久しぶりに受ける迅速かつ丁寧な対応で、心から驚いてしまった。


彼女の行動にいちいち感動する私は、奇妙な観光客に映ったに違いない。至極普通のどこにでもある街のレストラン。これが日本の標準だとしたら、やはり「おもてなし」は日本の価値だ、と思う。目に見えないがゆえに、それを経験した者でしかわからないものではあるが。

このような、痒いところに言わなくても手が届くようなサービスというのは、北米でもヨーロッパではまず見られない。頼んだことに対する対価としてチップを残すことが習慣だが、まず頼まなければサービスは提供されない。頼んでも、相手が忙しいと、そこから微妙な交渉過程が始まる(再度頼むか、頼み方を変えるか、オーナーに伝えるか、こちらがあきらめるか)。


「おもてなし」の定義として、最適な先読みをして常に顧客の先手を打つことだ、と言う方がいて、正にその通りだと思った。欧米に笑顔を絶やさない場所はあるが、ここに相手の気配を読んで先回りをする場所はない。


タイやベトナムなどの東南アジアのサービスも、訓練を受けたスタッフは謙虚な対応で訪れた側は心地よいが、こちらの欲しいものを察して行動するようなイニシアチブはないように思う。目に見えない、心地良い間のようなもの。これを生み出す背景には、独特な繊細な神経と日本人の勤勉さがあるように思う。日本のみに留めておくのは、勿体無い。きっと国籍や文化を超えて、広く受け入れられると思う。

 

国内では当たり前の日本語が、海外では如何にも神秘的で深遠な意味をもったかのように、そのまま使用されている場合がある。デンマーク人が、自慢げにkaizen kaizenと繰り返すのでその説明を静かに聞いていたが、それが日本の「改善」を意味するのだと気づくまでに数秒かかった。


Shiatsu(指圧)という言葉は、何か日本では古めかしい温泉街と畳をイメージさせるが、ヨーロッパの高級スパではそのまま良く使用されている。Motenashiを、これまでのように京都や着物女性でパッケージするのではなく、日本発の顧客が真に心地よいと感じる間を創り出す徹底した気配り、としてそのまま広めてしまうのはどうだろう。人の衣食住の全般にまつわる価値として、潜在能力は高いと思う。

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