グローバル人材再考ー本当に必要なスキルとは

最近あちらこちらで「グローバル人材」という言葉を目にする。新経済連盟が先月出したイノベーション振興に関する緊急提言や、各大学で設立されるグローバル人材育成事業、英語だけが出来て無能な「グローバル人材」の社員を嘆く会社のブログなど、一種のブーム感すら漂う。

 

厚生労働省がまとめた定義によると、グローバル人材とは①未知の世界に飛び込める行動力②最後までやり抜くタフネスさ③自分の頭で考え、課題を解決する能力の3点を備えた人を指すという(ライフネット生命社長出口氏ブログ)


 

これを見ている限り、私も日本国内で普通に求められる人材の能力と殆ど変わりがないと思う。そしてそれは多分、事実なのだ。日本国内でやりぬく為に必要な力、人間としての底力の「真」の部分は、生きる場所が変わっても普遍的に変わらない。ウオール街で成功すること、アマゾンのジャングルでサバイバルすること、カルカッタでNGOを運営すること、日本で起業すること、どれも上記の力がそれぞれ大きく関ってくる。

 

ただ、環境が大きく変わった場合に、必要となってくる力は確かにある。それを上の定義は、含みきれていない。日本の総人口が身につけなければならないものとも全く思わないが、国境を超えて活躍しようと思っている人には有益だ思う幾つかを挙げてみる。

 

1. 異国の人々と対等にコミュニケーション出来る力(言語、非言語コミュニケーション双方を含む)

 

これは英語の読み書きといった言語コミュニケーションにとどまらない。日本ではこの側面のみが重要視されている感があるが、それだけでは、海外で広く働くことはできないように思う。

 

例えば、相手と自然に肩を叩き合って笑える距離感、引くべきところは引き、出るべきところは出るという間の取り方。どんな表情で誰と何を話すか。人々が快適と感じる他人との距離の取り方は、出身文化によってかなり異なる。以前、日本人は世界の中でも最も初対面の人と距離感を広くとりたがる傾向があると教えられ、妙に納得したことがあった。また、現在の職場のトレーニングで、以前エレベータースピーチという訓練を受けたこともある。初対面で、自分が興味を持っている相手とエレベーターに偶然乗り合せた時、相手が降りる約3分間で自分の何をどう効果的にプレゼンテーションするかの訓練。ネイティブの人間でさえもこうした訓練を受けている。

 

2. 自分の出身国にバランスのとれたプライドと相応の理解

 

以前も書いたが、何カ国語を上手に操れようがどの国に何年滞在しその文化を学ぼうが、私達がその国の人に、日本人以外に見られることはないと思う。長く海外に暮らしてきて、彼等と対等に働き価値を共に作ってゆく過程で信頼されるためには、自分の国にバランスの取れた誇りを持っていることが必要だと思うに至った。この部分が欠け、例えばアメリカに留学した人がアメリカを気取ったりすると、周りに軽薄な印象を与えてしまう。日本の歴史や文化に親しむことは、海外で活躍するための血肉の土台のようにも思う。土台がしっかりある人は、他者にも安心感を与えるだろう。

 

3. アンテナと意識が常に徹底して世界をカバーしていること

 

自分の興味分野が、海外ではどう論じられているのか。海外でも活躍する人は、常に自分のアンテナと意識を高く広く深く地球規模に張っているように思う。これを続ければ、出身国の異なる様々な人々と仕事をするようになった時、必ず沢山の共通点が見つかるはず。外から見ていて思うが、このネット時代でも、日本で手に入る日本語に訳された形の海外の情報は、量、スピード双方の点で非常に限られている。1の言語能力がついたら積極的に、英語で沢山の自分の興味分野を調べてみると面白いかもしれない。

 

以上、活動の場を海外に広げた場合に有益と思われる三つの要素を挙げてみた。しかし、海外でも国内でも活躍するために最終的に必要なのは、その人の土台たる自身の専門性やビジョンの気がする。建築家の安藤忠雄氏のように、その人の専門性のクオリティーが世界を圧倒してしまった場合、別に英語など話せなくても「世界のアンドウ」と呼ばれるようになるのだから。日本という国が更に世界に対してオープンかつ魅力的になるためには、どういった層の誰にいつ何が必要になってくるのかを絞って考えていくと、この議論も更に充実して面白いかもしれない。