新しい時代を拓いた人−イタリアルネッサンスにみる

ジョット、スクロベーニ礼拝堂、copy right http://bluediary2.jugem.jp/?eid=667
ジョット、スクロベーニ礼拝堂、copy right http://bluediary2.jugem.jp/?eid=667

これまで新しい時代の先駆としての役割を果たしてきた人々は、果たしてどうしてその様な役割を担うに至ったのだろう。

 

13世紀末のヨーロッパ。宗教的な権威が重んじられ、絵画は限りなく2次元の平坦な構図の中で描き出されてきたその時代にあって、現実味あふれる立体的な絵の中で人間の感情を豊かに始めて表現した一人の人がいた。ジョット・ディ・ボンドーネ。イタリア中世の画家、建築家。鍛冶屋の息子としてフィレンツェで生まれたとされる彼は、その後ルネッサンス文化開花の道筋を付け、後世「西洋絵画の父」と呼ばれるに至ったという。

 

 

北イタリア中世大学都市パドバ。コペルニクスが留学しガリレオやダンテも講義を行ったと言われる当時の知性の中心地に、彼のフレスコ画はのこされている。作品を保護するために現在は15分の閲覧が許されるのみ。ラピスを思わせる青の天井に、色彩の宇宙を思わせる39のフレスコ画。バチカンのシスティーン礼拝堂のフレスコ画を担当したミケランジェロに大きな影響を与えたという。イタリアルネッサンスというと、1481年ボッティチェリ作の「春」などが有名であるが、それより遥か200年前、彼以前、彼以後と区切りを付けることが出来るほど大きな影響を後世の画家達に残したのは彼であった。絵画論は専門家に任せるとして、私は、なぜ彼がその時代の先駆とも言われる役割を担うに至ったのかに、興味を覚えた。

 

鍛冶屋の息子として生まれたこの彼の、画家になる前の職業はなんと羊飼いであったという。少年であった彼が仕事の合間に岩に描いた羊の絵を、偶然目にした当時の著名な画家は、その羊の絵から沸き上がる生命力と瑞々しさに息を呑んだ。画家にその才能を認められ弟子入りした以後も、画家の作品の隅にいたずらで描いたハエの絵があまりに本物にそっくりであったため、画家が本物と間違えて何度も追い払ったという逸話がある。彼は、多分、生まれ持った素養を土台として、羊飼いとして自然の対象を純粋に愛する気持ちがあったのだと思う。当時の権威の下、二次元で展開される芸術作品群より遠く離れた場所で。そして少年の大切な時期に、偶然画家に見出され訓練を受ける好機を得た。どの要素が欠けても後世「西洋画の父」と言われる彼は誕生しなかったと思う。他の多くがそうであるように、一人の羊飼いが木や岩に羊を描きながら静かに一生を終えるのみだったかもしれない。

 

パドバのスクロベーニ礼拝堂の39のフレスコ画は、1303年から1305年の2年で描かれたという。ミケランジェロはシスティーン礼拝堂の天井フレスコ画を完成させる途中で、同じ姿勢を長時間取り続けたために膝に水を溜めたというが、ジョットも同等の集中力で仕事を続けたに違いない。スケールから言って、どうみても常人の範囲で遂行できる仕事ではない。天才というのは、他の人々が疲れたといって諦めてしまう範囲を遥かに超えて、同じ行為や練習を続けることの出来る人だと聞いたことがあるが、彼も例外ではなかったはずだ。

 

多分、その後の時代に大きな影響を残す仕事をした人というのは、その仕事の最中は、あまりに熱中し、そのようなことは微塵も考えていなかったのだと思う。才能に加え、それを偶然少年期に見出された運、仕事を愛し熱中できる集中力。これらに純粋に向かい合った結果、うねる時代が彼を後世「西洋画の父」に押し上げたのだと思う。彼の意思のコントロールの及ばぬところで。