世界で活躍する人々の共通項とは

日本で良く紹介されている仕事術に関する書籍の類いは、勿論日本でビジネスを成功させるための知恵が織り込まれたもの。その殆どは世界に出ても十分通用するものだが、相手が日本人でない以上、必ずしも万能のリストとは限らない。「仕事上で絶対に遅刻はしてはならない。」という私達日本人にとって常識ともいえる基本的な命題は、時間に大らかな国民性を持つ南欧やアフリカの人々と仕事をする上では「ほら、遅刻を性懲りもなく繰り返してくる相手に先に今イライラしたあなたが、負け。」というように様変りする。この様に、日本で共有されている価値が必ずしも通用しない職場で、国籍を超え世界で活躍している人の共通点は何だろう。私が尊敬している実力も十分の同僚達(インド人、アメリカ人、ドイツ人、イギリス人)等を念頭に、その共通項を探ってみる。

 

 

仕事上で有能であることは大前提として、彼等は共通して非常に外交的だ。日本には存在しない習慣だが、こちらでは、異動やクリスマスなど機会がある度に上司や部下を自宅に招くのが一般的となる。彼等は、招かれた場合、何をお土産として持参するか、どんな服装で登場するのか、そこで誰とどんな会話をするのか、これらは自分を表現するためのプリゼンテーションの手段だと良くわきまえている。フォーマル、インフォーマル、カジュアル、オープンと場面に応じ良く変化する。この場合、公式のパートナーがいる者は、本人のみと明記されていない限り、夫なり妻なりを同伴するのが常となる。日本の男性によく見受けられる「うちの嫁が」といった会話は、コンセプト自体が空間に存在しないので、間違っても耳にしない。褒められた時に下手に謙遜するのもタブーである。海外生活も既に10年を超える私であるが、褒められれば「いいえ、全然」と答える訓練を受けてきた日本育ちであるので、海外で「何故、麻衣子はいつも否定するの」と真顔で不思議そうに問われ、思わず苦笑したことがあった。パーティー等で何かを褒められた時には、倍の笑顔で胸を張り「ありがとう」と答えるのが、ここでは正しい。とにかく、こうして公私共に自分という存在を見せることで、上司や同僚達の信頼を勝ち得てゆく過程が確かに存在する。存在する以上、それを上手にこなすことが出来る人が、より活躍する場を得て行くのが当然となるのかもしれない。

 

また彼等は人間の感情に非常に敏感のように思う。嫉妬、羞恥、喜びや悲しみなどといった人間の基本的な感情は、どんな文化的背景を持つ人でも、どんな年齢層に属する人であっても、本質的に世界共通のように思われる。そこに集まる人間の種類が異なれば異なるほど、こうした人間に共通かつ、非常に強い影響を及ぼす側面に敏感になってゆくのは納得のゆくことかもしれない。どんなに組織の上層部に属する人であっても、ネガティブな感情を簡単に周りに見せない、どんな立場の相手であっても彼/彼女を公の場で辱める場面を徹底して避ける等の態度に、感心したことが何度もあった。仕事の上で相手に厳しくあるのと、相手の感情を尊重することは両立することであり、異なる次元のものなのだ。

 

そして彼等は共通して話すことで聴衆を魅了する力を持つ。日本で働いていた頃にはそれほど意識にされた技能ではなかったが、ここでは、話すことで人を惹き付けることの出来ない人は活躍する場を得ることは難しいとまで思う。というのも活躍する過程で、大勢の前で話すことを要求される場面が必ず出てくるからだ。理路整然と整理された論理に、時にユーモアを交え、間と自分の呼吸を上手に使い、必要とあればボディーランゲージも含め表情豊かに聴衆の目を見て訴えかける。良く日本の会社の記者会見などで原稿を棒読みにする政府高官や企業幹部の方を目にすることがあるが、このようなことは、こちらではまず見られない。国連に入った新人の頃、公で上手に話すための授業というトレーニングを受けたことが一度ならずも数回あるが、これも話すことがこの環境で如何に重要視されているかを表していると思う。自分の話している姿をビデオで撮られ、同僚やコーチから遠慮のない指摘を四方八方受けるのは、はじめは顔から火を噴きそうな経験だったと記憶している。外国語で話し多国籍の聴衆を魅了する、というのは日本人にとってはハードルの高い仕事だが、先天的な部分の大きい芸術分野の才能などとは異なり、これはトレーニングでいくらでも伸ばすことの出来る技能でもあるように思う。

 

また彼等は自分が他人と異なることを、美徳または魅力と考えている。インド人は美しいサリーのスカーフを、誰も真似できないスタイルで肩にかけ颯爽とオフィスを歩いている。自分の意見が他と異なる時には、「私は同意見ではない」と言い、その説明を開始する。何か小さな失敗をした時には、「いや、カナダ東海岸の出身だから」と意味のわからない言い訳で、周りを煙に巻く者もある。日本の高校のいじめなどのニュース等を見ていると非常に気の毒な気持ちになるが、周りと同じ人間は「個性もなく、退屈」とさえも取られてしまう環境は、確かに存在するのだ。相手と良い関係性を築いてゆくことや謙虚であることと、大勢の中で自分を臆せず表現することは、決して矛盾しない価値だと思う。