和食はユネスコ無形文化遺産になるだろうか 海外のSUSHI編

現在、和食をユネスコ無形文化遺産にしようという試みがある。2015年に予定されているミラノ博覧会のテーマは「地球を養う。命のためのエネルギー。」世界の食への興味もここに集まるであろうから、和食を通して日本の価値をアピールするには時機も良いと思う。2010年には地中海の食として、イタリア、ギリシャ、スペイン、モロッコ料理が無形文化遺産に登録されている。地中海の海の恵みと陸の恵みがシンプルに調理され、そのまま豪快に食卓に上がるような地中海料理は、それだけで素晴らしいと思う。そしてこれらと同様に独自の個性を確立した和食が文化遺産としてこの流れに加わること自体には、何の不思議もないと思う。

 

まず海外では、和食はどのように捉えられているのだろう。日本人が考える和食と、海外で考えられているJapanese Foodほど差があるものも少なくない。今回は、まず始めに世界で受け入れられている日本食の今について考えてみます。

 

私は海外のパーティー等で初対面の人に自分が日本人だというと、話の流れでSUSHIはよく作るの?と笑顔で聞かれる場面に出会う。慣れているのでこちらも笑顔で普通に返す。日本の食文化に造詣の深い人を除き、どこでも日本食といって人々が持つ共通イメージはまずSUSHIだ。自宅に友人を招く場合も、夕食ならば、お寿司が出てくることをまず期待されているような感を受ける。週末に時々出かける地元のワイナリー店主やソムリエ達も、イタリアで一番のSUSHIバーはどこか、と良く聞く。

 

ヨーロッパでは、酵素を加熱で崩さないRow Foodの人気にもあずかりSUSHIが健康食の代名詞となりつつある。ここでは喜多川歌麿の浮世絵や、妖しい忍者の絵、手裏剣等が壁中にかけられた場所が、日本食レストランであったのは一昔の話。今は、斬新な雰囲気を売り物にする若者がよく集まるような場所で、良くお寿司が登場してくる。登場すると人々に歓声が上がる。ここでのSUSHIの定義は、兎に角、ご飯が海苔で巻かれていること。中身は何でも構わない。SUSHIは日本食だからいくら食べても太らない、とマヨネーズで和えたアボガドの太巻きを笑顔でほお張る恰幅も良いフランス人に、私はどうしても一つの事実を伝えることが出来なかった。いや、お寿司は結構太るのです。炭水化物なので。日本で出されるようなお寿司を味わえるレストランは、パリやロンドンにあるにはあるが、高価で敷居が高く、とても人々が日常として通うような場所ではない気がする。彼等の一般的な日本食に対する全体としてのイメージは、もっと別の場所で生み出され、共有されている。お寿司ではなく、クールなSUSHIとして。

 

タイ、カンボジア、ラオスなどの東南アジアでもSUSHIバーは大人気だ。回転寿しスタイルが支持されているらしく、日本では見ることはまずない緑やピンクの具がご飯の上に小さく載せられ、宇宙服のヘルメットのような透明なプラスチックのカプセルをかぶりピンクのトレーの上をくるくる回っている。こちらでは多くの場合お店のイメージを売る「すし」という文字が日本語で、店員さんが浴衣にも似た法被を着ている。お昼時になると満員どころか外に行列が出来る人気ぶりで、この現象は一体何だろうと首をひねった覚えが何度かあった。勿論客層は、全て現地の人々。途上国の、舗装の追いつかない土埃舞う道路の脇に立つ蛍光塗料で彩られたSUSHIバーという看板と、その前に並んだ現地の若い人々の列は、来るべき経済成長を牽引する力を感じさせて印象的であった。

 

このように西洋東洋問わず、また国の発展の度合い問わず、世界中に広がりつつある感のあるSUSHIブームであるが、ご覧の通り、これは日本人が毎日口にする日本の食の姿からはやや離れる。現在、世界に散らばる日本食レストランの8割強が、中国人やベトナム人または現地の人々によって経営されていることを考えれば、当然の成り行きかもしれない。ここまで広がったSUSHIという食であるが、もし日本食が無形文化遺産となる価値があるとすれば、それは誰かに創られ世界に広がったカタカナ語のSUSHIを再確認することではない。人々に好んでもらうことはとても有難いことだが、たぐい稀な価値を有する無形文化遺産としての食という以上、その背後には真の日本としての価値がなければ意味がない気がする。

 

では、無形文化遺産としての価値とは。次章で、少し考えてみます。